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東京にある女性のためのDV相談や支援相談。ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)・被害を受けた女性と子どもの支援活動をしています。

DVとは

14. 依存と自立のバランス 

今思春期の入り口に立っている娘と毎日を過ごしていると、この時期に養育者の大切な役目の一つに、受け容れることと拒否することのバランスをとることがあるように思う。 幼児の時ほど依存的ではないが、この時期は子どもは自分本位に親を依存の対象に乱用し始めるように思う。

勝手な時にだけ都合よく親のせいにしたり、困った時だけ親の元に逃げ込んできたりなかなか抜け目が無い、子どもが困っているからとか、かわいそうだからと言う理由だけで助けてあげてばかりでは子どもは成長ができなくなってしまうような気がしてきた。

自分自身が子ども時代親に助けを求めても拒否されていた経験から、私は何かと子どもに手を貸してしまうほうだと思う。小学生の困ったことはたいていなことなら私にはさもないことが多いから、よけいについつい無条件に助けてしまっていたし、それがいい親なんだと思っていた。

でもはじめに親がやめたほうがいいよと注意したことを、無視して自分の思い通りに行動して困った結果になったりしたような場合や、私自身の生活にかなり無理が生じるような要求をされたりした時など、ただ無条件に手助けしてしまうのはよくないんだなと思えてきた。

親子の間でも、きちんと限界設定をもうけて、イエスとノーをきっちりとさせることが子どもの依存と自立のバランス感覚を鍛えるのにとても役に立つんだなと思うようになった。 私が世の中に出て、人に助けを求められずに苦労したのはこのイエスとノーのやりとりを、親とできていなかったから、つまり練習不足だったからなんだと思う。

私がノーといえば当然小5の娘は、反抗したり泣いたり喚いたりと抵抗してくる、でもどうして手伝わないかとか、誰の責任かとかきちんと説明して毅然とした態度で拒否すれば、娘は理不尽だとふくれながらも一生懸命考える。そんな日常のやりとりの中から少しずつ、人に甘えていい時と自分で責任を持たなきゃいけないとき、頼むとすればどういうふうに話せばいいのかを、状況に応じて体験を通して自分で考えて身に着けていく。

この体験をするということが多ければ多いほど、心はより豊かに成長し世の中に出てからも臨機応変に行動できる大人に成長できるんだと思う。子どもは親との生活の中で他人にどう関わっていったらいいのかを練習しながら、自分と他人との距離のとり方を覚えていくのだ。

今娘の相手をしながら、私も遅ればせながら子どもの時にできなかった体験を結果的にはしていることになる。自分がしょい込みすぎて苦しかったのは、他人に良い顔をしたくてついついイエスマンになっていたからだったとか、ノーと言わなきゃいけないときにきちんとノーと言うためには自分に自信がないと難しいことだったんだということがしみじみとわかってきた。

ノーといった時、相手が嫌な顔や態度をしたとしても、それは相手の問題だったのだということに最近になってようやく気がついた。でも以前の私はそれを自分のせいだと思っていて、なんとか機嫌を直してもらわなくてはとしなくてもいい行動をとって、機能不全な相手に見事に巻き込まれていた。 娘はまだ子どもだからノーといえば当然大人気ない態度をとる、その娘の相手をして毅然としていることが今の私にはちょうどよいリハビリになっている。

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