11. 母と娘のトライアングル3
母との思い出のなかで一番強烈に残っているのは、一度キレるとおさまりがつかないことだ。
初めて記憶に残っているのは2歳の頃、どこの2歳児でもするようなささいな粗相がきっかけだったと思う、始めは人よりちょっとだけヒステリックなどなり声から始まった説教が、だんだんエスカレイとしていきどんどん収拾がつかなくなっていくのだ。
泣いて謝っても、土下座しても許してもらえず。そのうちに話が「あの時もこうだった。この前もああだった」とどんどん際限なく広がっていき、1時間近くまくし立てられる。もう目の前の子どもを見ている眼ではない、異常な眼光になっていたことが強烈に脳裏に焼きついている。この発作のような怒りの爆発は必ず二人だけの時にしか起きないことだった。だから私は母と二人きりになることが幼児のころから怖かった。
今になって気がついたのだが、バタラーの夫が些細なことで怒り出し、どんなに謝っても許してくれず一晩中寝かせてもらえない状態とまったく同じなのだ。 何度も何度も繰り返されるこの怒りの爆発が始まると、いくつになっても私は2歳児にもどってしまい恐怖から大声で泣き喚いてしまっていた。
その当時のことを今思い出すと時が止まったようで、私の中の2歳児の記憶が異常に長く認知されている。まさに私の中では成長が止まってしまっていたのだ。真っ暗なトンネルの中でたった一人で取り残されたような感じだった。それが始まるとともかくもう怖くて怖くて頭の中が真っ白になってしまうのだ。なにをしたって許してもらえないのだ。それなのに許しを請うて怒りを納めなければならない絶望的な状況に底知れない無力感を感じた。
この状況は私が10歳くらいになって、私も怖いけれど母も泣き喚いている私に怯えてているようだと気づき、ともかく母を怖がらせないように、怖がらせないようにと対応できるようになったことで開放された。 この役割を20数年続けたことが、元夫のバタラー体質に気づかないで何年も自分の対応が悪いから相手を怒らせてしまったんだと自分を責め続ける結果になってしまった。
職場などでも他人の怒りにひどく敏感になり、他人の争いに巻き込まれたり不機嫌な人に当り散らされたり、いわゆるいじめられっこ体質になってしまい。他人の怒りに対する境界線が引けるようになるまで、かなりの年数治療に通わなければならなかった。
自分が子育てをしていく中で、私自身が母と同じように怒りをコントロールできなくなる経験をしたことがある。自分のなかで得体の知れない怒りがどんどんエスカレートしていくのだ、子どものしたことなんて本当にきっかけでしかなかった、あれは子どもがなだめられるような感情ではなかったと自分が体感して初めてわかった。私は今でも母を怖がらせないように気をつけて話している。
いまだに母は変わってないからだ。長年私には何を言っても言い返されないので、私が嫌なことを言われれば傷つく普通の人間だと言うことを忘れてしまっているようだ。それでなくても娘には何を言ってもいいと思っているのだから始末が悪い。
相手は本当になんにも気兼ねしないで言いたい放題言って、自分が批判されそうになると、ヒステリーという隠れ蓑の中に逃げ込まれてこちらの気持は無視されてしまう。そんな一方的な関係は片方だけに大きな負担がかかる。
今は感情的にならずに自分の気持を伝える自信があるが、あの母の半狂乱の姿が脳裏に焼きついてまた同じことになったらと考えると、いまだに体から血の気が引いて体が硬くなる。だからいまだにどんなに腹が立つことを言われてもじっと我慢することしかできない。
そんな関係が嫌だからなるべく母が元気なうちは、母と距離をとることで自分を守っている。