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東京にある女性のためのDV相談や支援相談。ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)・被害を受けた女性と子どもの支援活動をしています。

DVとは

12. 子育て10年を振り返って

今年の4月で子どもが11歳になりました。 子どもを育て始めて丸10年、20歳までが子どもだとするならちょうど子育ての折り返し地点です。

そこで今回は前半10年を振り返っての思いをつれづれにつづってみました。

0歳から小学校に入学するまでは、とても長く感じました特におしめが外れて一人できちんとトイレに行けるようになるまでがとても長かったです。この時期は自分が病気で寝ていても起きて、おしめを取り替えたりトイレに連れて行ってあげなくてはならなかったり、自分が熱があっても子どもをお風呂に入れなくてはならなかったりで、一人で子育てすることが物理的に一番しんどかったです。

実際に娘が2歳の時熱を出してちょっとうとうとして気がついたら、娘が化粧品のサンプルをいたずらして顔や服から布団までクリームだらけになっていて、ふらふらな身体で後始末をしたことがあります。  

ちょっとしたことでイライラして娘に当り散らしてどなたりして、あとで落ち込むなんてこともこの時期が一番多かったと思います。自分の言うことを聞かない娘にいらだつ時「ああ自分もよくこういうふうに怒鳴られてたな」っと思い出すとそれもまた辛かったので子育てのグループとかには一番よく通っていた時期でした。 小学校に入学してからは、私の具合が悪くても一人でお風呂には入れるし、コンビニまでお使いに行って自分のご飯は自分で何とかしてくれるようになったので、そういう意味では単純に大きくなってくれて子育てが楽にりましたね。

私自身は小学校時代にトラウマ体験が集中しているので、娘がその年齢になるたびに体調が悪くなったり、気分が鬱になったりで大変でした。  自分が子育てを10年経験してみて思うことは、この10年間で私も子どもにいっぱいいろんなものを与えてきたけれど、それ以上に私が子どもに愛をたくさんもらったなあと言うことです。  

私は自分の両親との間では、お前はこういう子だとか、あなたも私と同じ女なんだから私と同じこと考えてるわよねとか、自分のことより親の気持を考えなさいみたいな関係しかなかったし。今でもそんな感じの関係です。とうぜん結婚した相手も同じような考え方の持ち主でした。  

娘が2歳の後半くらいからおかあさんと自分は違うんだとわかり始めてから、よく「私はピンクが好きだけどお母さんは何色が好き?」「お母さんはどんなお花が好き」などと聞かれるようになりました。最初この質問がとても嫌で答えたくなかった。と言うのもよく自分の好きなものが家族にばれると、馬鹿にされたりけなされたりしたからで、たった2歳の子どもでも聞かれるとこんなに緊張するなんて、平気な顔してたけど当時はずいぶん傷ついていたんだなと改めて思いました。結構いやいや答えていて、今でもこの手の質問は苦手なままです。

小さなうちは「お母さんの好きな色で折り紙折ってあげたよ」など手作りのものをずいぶんもらって、小学校になってからは、お小遣いをためて何が欲しいと聞いてプレゼントを買ってくれるようになった。聞くばかりではなく、私のことを見ていておかあさんはどんなことが好きでどんなことが嫌いか、ともかくよく私という人間を見て理解しようとしてくれた。

4年生にもなるとお母さんがすきそうだと思ってと選んでくれるものが結構つぼにはまっていたりする。かなり正確に私という人間を理解しているなあと思う。 「あなたはどんな人ですか」「あなたはなにがすきですか?」「あなたは何が嫌いですか」私の人生の中でこんなに私自身を見つめてもらったことはかってなかったと思う。

みんなが私の上に勝手に何かを重ね、期待どおりに行動しないとひどい娘だ、そんなやつだとは思わなかったなどと勝手なことを言って離れて行ったり、罰を与えたりするような人間関係ばかりしか経験してこなかった、いつしか心にポッカリと大きな穴が開いていました。グループに出てもカウンセリングをしても病院で治療しても埋まらない穴。

もう一生これは埋まらないものなんだと思っていた。ただ治療を受けたりグループに出たりすることで、心に穴の開いた自分とあまり辛くなくうまく付き合っていけるようになるだけなのだと思っていました。それがこの10年子どもを育てて子どもを見つめて愛して、またとられるばっかりの関係なのかなと思っていたのに、気がついたらあんなに大きな自分の心の穴がいつの間にかふさがっていました。

娘が私を見てくれて、私という人間に関心を持ってくれて、いいところも悪いところも全部ひっくるめて好きだよといってくれて受け容れてくれたから、私の心の穴はいつの間にかきれいに消えていました。 私は大人で、娘を受け容れて娘を抱きしめていたつもりだったけれど、私も子どもが親を思う大きな無償の愛にすっぽりと抱きしめられて、癒されていたんだということに気がつきました。

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