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東京にある女性のためのDV相談や支援相談。ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)・被害を受けた女性と子どもの支援活動をしています。

DVとは

2.「1年前の私へ」 ひなぎく

あなたは夫と別居して半年、調停の準備という実に嫌な作業をしながら、無理をしているのに気づかずに、かなり無理をしていますね。
既に頑張っているあなたに、こんな事を言うのは酷かも知れないけど、これからの1年も、引き続き嫌なことテンコ盛りです。

例えば・・・

人の悪気のない一言に傷ついたり、悩んだり、
夫を思い出す場所には近寄れなくて、窮屈な生活に息苦しくなって叫び出したくなったり、
怖い夢やフラッシュバックをたくさん見たり・・・などなど、数え上げたら切りがないです。

とはいえ、この1年、そんな嫌なことだらけの毎日をただ悶々と過ごしていただけではなく、自分なりに色々と試みたこともたくさんありました。
その中で、「やってみたらよかったこと」の一部を書きますので、参考になったらいいなと思います。

ではまず、その一 「よく休み、自分があまり辛くない範囲でやれることをやる」 物事に当たるには、エネルギーの「ため」が必要なのですが、あなたにはその「ため」がありません。
「ため」を作るには、安全な場所で、とにかくよく休むこと。
家事なんか必要最低限でOKです。
「ため」ができればできることも増えてくるので、やる気がおきない時に無理にやらなくてよいです。
また、なかなか物事が決められず、グダグダオロオロしている時間も、あなたには必要な時間なのではないかと思うので、そんなに自己嫌悪しなくても大丈夫ですよ。
まぁ、そうは言っても、やりたくないことの中には大事なこともあるので、それと向き合うことからは逃げない方がいいと思います。
そのように、やりたくないことをどうしてもやらなければならない時は、できるだけ「1時間だけ」と時間を区切るか、「家ではやらない」と空間を区切るか、一番いいのは「1時間だけファミレスで」など、時間と空間を同時に区切ることです。
それから、好きな音楽を聴きながらやったり、嫌な作業の前後に好きな事をしたりすると、より一層効果的です。
こうすると、時間はかかりますが、何とか少しずつでも物事を進めることができ、多少でも達成感が得られると思います。

その二 

休んでエネルギーに「ため」ができてきたら、「とにかくよく考える!そしてよく動く!」
「~ねばならない」とか「~してはいけない」という言葉を使うのはあまり好きではないのですが、自分のマイベストな答えを見つけるための労力は、惜しんではいけません。
権威のある人(弁護士や役所の人など)に言われたことや、常識と言われていることを、鵜呑みにせず、「本当にそうなの?」と一度は疑ってみることも必要です。
なぜなら、それらの意見は正しいかもしれないけれど、必ずしも自分の答えではない可能性があるからです。
自分がよく考えて出した答えが、結局それらの意見と同じになったら、それはそれで自分の答えだから、いいんじゃないかと思います。
ここで一つ気をつけたいのは、机に向かって沈思黙考するだけでは、自然に答えが頭の中にポンと浮かぶってことはあまりないかもしれないということです。
そこで、自分なりの答えを見つけるプロセスでは、「動くこと」も重要になってきます。

ある程度考えても、しっくりする答えが出なかったら、自分の足で色んなところに行って情報収集し、その情報を元にまた考える。
そしてまた動く。
これを、自分の中に違和感や抵抗感がなく入ってくる答えが見つかるまで、繰り返します。
この作業は孤独だし、時にとてもしんどいです。
でも、自分が動くと、周りの状況も動いて、必ず今とは別のどこかに行けるし、必ず新しい誰かに会えると思います。
また、場所にしろ、人にしろ、辿り着くべきところに向かって、少しずつでも着実に、しかも主体的に近づいているという実感があるので、自己肯定感が持てると思います。

その三 

「絶望感と共存はしても、それに食われないようにしましょう」
身体の傷は癒えても、あなたの心の一部は、暴力によって吹き飛んで、本来あったものがもうありません。
だから、時々、以前は行けたところにいけないとか、できたことができないという、窮屈さや不自由さを感じることがあると思います。
私はその窮屈さや不自由さを、「透明な檻」と呼んでいます。
自分はその檻の中にいるのですが、なにぶんにも檻は透明で見えないので、普段はその存在を忘れています。
でも、例えばケーキ屋さんでどれにしようか迷っている時、
「ショートケーキが食べたいけど、夫が好きだったから何かヤダ・・・ショートケーキはやっぱり買えない」などということがあると、そこには檻があって外には自由に出られない(=食べたいショートケーキが素直に選べない)ことを、突然気づかされるのです。
こういう時は本当にむかつくというか、面倒くさい人になってしまった自分が悔しくて、檻を作った夫を呪い、また作らせた自分も呪いました。
今後自分が死ぬまで、この檻の中で暮らさなければならないのかと思うと、絶望感でいっぱいになり、自由になるにはもう自らの命を絶つしかないのかなと、しばしば思ったりもしましたが、あんな夫のために自分の人生を諦めてしまうのは、なんだかあまりにもバカバカしいと思ったので、檻の中ででも生きてやることを選びました。
でも、自分でそう決めたからといって、魔法みたいに絶望感が消えてなくなるわけもなく、それとの共存は避けられないのですが、これが本当に大変!
ちょっと油断すると、頭の中は絶望感の毒でいっぱいになってしまいます。 そんな中私が見つけた、その毒に食われないための唯一の方法は、とにかくどんなに些細なことでもいいから、その時自分がやりたいことをやりたいように自分にさせてあげて、「嬉しい」とか「好き」とか「楽しい」気持ちを、自分の心の貯金箱に貯め続けること。

そうしていると、だんだん今の生活を楽しくすることが忙しくなってきて、結果的に絶望感を感じる時間が少なくなるという効果があるような気がします。
特に、やりたいことも思いつかないほど、すごく傷ついたことやショックなことがあった時こそ、無理矢理にでもやった方がよいです。

そして最後に、「焦らないこと」

早く元気になりたい、早く自由になりたいって思うのはよく分かりますが、暴力の傷からの回復は、残りの人生をかけてやるライフワークみたいなものと思った方がいいかもしれません。
あなたはもう、暴力以前のあなたではないし、別居してやっと1年なんて、色んな事がうまくできなくて当たり前ですよ。
そこで物事を無理に早く進めようとすると、反動が大きくて寝込むわ、二度手間しちゃったりするわ、結局失敗するから自己評価が下がるわで、全くもって、ろくなことがありません。
これまであなたは、他人の気持ちを優先するあまり、自分の気持ちが分からなくなってしまっていたけど、これからは自分の心の声をよく聞いて、どうか自分を追い立てないであげて下さい。

今の私の状況は、実は1年前とそう変わっていなくて、相変わらず真っ暗な海を泳いでいます。沈まないように、水面に顔を出して、浮いているだけで精一杯の時もあります。
でも、夫の暴力に苦しんでいた頃泳いでいた海は嵐だったから、それに比べれば、少なくとも今は嵐は止み、ほんの少しだけど、光が射すことも増えてきたような気がします。
その光は、自然に射してきたものもあれば、思い切って自分で手を伸ばしてゲットしたものもあって、今は、そういう光のカケラをちょっとずつ集めながら生きている感じです。

こうしてこの1年のことをあらためて振り返ってみて、
「よくやったじゃん、自分。」
と思えることができたし、今から一年後、自分がどんなところを泳いでいるのか、少し楽しみになりました。

もちろん、家族や友人、カウンセラーさん、集めた光のカケラに支えられてのことですが、色んなことに気づく機会をくれた「一年前の私」にも、感謝です。
どうもありがとう。

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