5.連鎖
昨年娘が小学校に入学して、自分の中で子育ての第一段階が終了したかなっと思っています。 自分が虐待の被害者として治療を受けながら、母親として過ごした8年の経験で、今までと違った自分の子供時代が見えてきました。
なぜ子供を虐待していなかった私が、自分のことを信じることができずにずっと治療の場から離れない選択をしたか。それは私の母との関係に深いかかわりがあります。
私の母は、戦中、戦後に小学校から中学校時代をすごした年代です。母は母子家庭の8人兄弟の下から3人目、家庭の事情で今で言う小学校しか卒業していません。
戦争中は学徒動員、戦後は農家をしていた母親の手伝いで、闇市に作物を売りに行く手伝いと、ほとんど学校に通えないまま小学時代を終えました。 すでにお嫁に行ったり、仕事を持っていた上の兄弟や、幼くて義務教育制度の恩恵を受けて学校に行っている下の兄弟たちを横目に、母親の身近で昼夜を問わず黙々と働き、時に当り散らされ、重労働がもとで身体を壊したときに、厄介者あつかいをされ、嫁いでいた姉のところに居候になり、そこから見合いで私の父と結婚しました。
私が物心ついたときに、母から聞かされたのは大好きだった父と、母の母親、私にとってのおばあちゃん、この二人がどんなにひどい人かという話でした。今思うとこのときから私の子供時代は喪失したと言ってもいいかと思います。私にとっては優しくて大好きな二人が、自分の母親にひどいことをしている。その事実を母親の口から聞いたショックは、子供の世の中への信頼感を崩すのに一撃で充分なものでした。
「だから私は女の子が欲しかった。自分のできなかったことを変わりにやらせるためと、どうしても家族の中に女の味方が欲しかった。だからあなたは私の愚痴を聞かなくてはならない」
「子供を産んだら、ますます自分の母親のことが理解できない、私は母親みたいにはならないんだ。私ほど子供をかわいがれる親はいないんだからね」
その言葉を聞きながら、私は何か間違っている。子供ってそういうものじゃないでしょう。じゃあ女の子としての私の外見が欲しかったの?私のことは要らないの?そう思いながら、目の前にいる母がひどくおぞましい者のように見えてきました。子供心に心底自分の母親を怖いと思った。
その日から毎晩、小学校から結婚するまでの母の周りにいた人たちの悪口を聞くことが私の役目になりました。毎晩、同じ話を、何十年も聞き続けました。母が眠るまで、居眠りすることも許されず。上手く受け答えができないと、薄情だ、お前が思っているほど世の中は甘くないんだ馬鹿。母を嫌悪しながらも、薄情だと言われてしまう自分を嫌いになる。
母と同じ女性である自分を受け容れられない苦しみ。 そんな自分の苦しさを分かってもらおうと、何度か母に話をしたが
「私ほど子供をかわいがっている人間はいないんだ!それなのに満足できないなんてお前はなんて欲張りで、わがままで、ひがみっぽいんだ!」
自分に限って絶対虐待はしない、その母の信念が私の話に耳を傾けることを阻害していた。
「私はかわいがっている」 「私ほど子供をかわいがる母親はいない」 そう言われ続けても、私は家族のなかで底知れぬ孤独と、不安と、疎外感を感じはじめる、それがまた親に対して罪悪感になっていく。
思い余って父に相談したことがある「お前が素直じゃないからいけないんだ」そう言われたときに、本当に誰にも分ってもらえないんだと思った。一生こんな状態が続くんなら死にたいと思った。
いつしか私も自分はこんな親には絶対にならないと思うようになっていた。 母は、自分がいじめられたから親のようにはならないその信念の強さ、実の母への憎悪と嫌悪から、結果的に自分の母親と同じことを私にして、それを最後まで認められないまま、全てを他人のせいにして被害者として今も生きている。
そんな状況で育った私には、虐待の連鎖は必然で、自分は母とは違うと思えば思うほど、自分は果たして本当に大丈夫なのか、答えの出ない自問自答を繰り返さなければならなかった。 自分が子供をかわいいと思えば思うほど、かわいがっている自分は偽善者ではないのか、母のように自分の思いだけを子供に押し付けているのではないのか?自分は本当に大丈夫なのか?
電車で隣になった見ず知らずの年配の女性に、いつもいいお母さんね、お母さんが大好きなんだね、あなたいい子育てしてるわよと、よく声をかけられた。 人が見れば子供は私を信頼していたのだろう、私は優しい眼差しの母親だったのだろう。その時、私自身は一番自分を信じられずに、いつ爆発するか分らない「虐待」という時限爆弾を抱え、出口の見えない暗闇を手探りでさまよっているようだった。
そんな出口のない暗闇から私を救ってくれたのは、言葉が話せるようになった娘の一言だった。
「お母さん大好き!お母さんは、本当に優しいんだよ」
今までどんなに自分の愛する人を心配して親身になって動いても、両親も、元夫も一度も認めてはくれなかった。
「薄情、自分勝手」私の心に突き刺さった言葉の刃を、娘の言葉が何年もかけて溶かしてくれた。私が本当の親にもらえなかった承認を、私はいつの間にか小さな我が子からもらっていたのだ。 真実の愛は、一方通行のものではなく、自然と循環するものなのかもしれない。