13. 子供でいる時間を保障する
母娘二人で暮らして11年、娘が小学4年生くらいからだいぶしっかりしてきて生活が楽になってくる。特に言わなくても気がついていろいろ手伝ってくれたり、話し相手としても一人前な受け答えができるようになってくるしで頼もしい限りだ。 そんな娘との生活の中で私が気をつけているのは、娘が子どもでいる時間を大切にしてやることだ。
大人と子ども1対1で暮らしていると、どうしても子どもを大人の都合に引っ張り込んでいることが多いなと最近気がついた。たとえば私の具合が悪くなったらうちには看病してくれたり、子どもの世話をしてくれる大人はいない。どこかに出かけて事故等で電車が止まってどうしようって時でも、大人は私一人で他に相談する相手もいない。
パートナーと暮らしながら子育てをしているならこんなとき子どもは大人同士が相談しているのを横目にゲームでもしていて、大人が決めた指示に従っていればいいのだが、うちの場合はそうも行かない。具合の悪い私の心配をして、自分のご飯をコンビに買いに走る。駅の案内板を一緒にみて右往左往する。選択の自由も無く私の片腕みたいな役割を当たり前のようにしているのだ。子どもにしてみても自分が母親の役に立っていることが嬉しいようで、積極的に背伸びをして頼りになる存在になろうとする。
ちなみに今年の夏休みに母子父子家庭の友達グループで海に行った時は、車が砂浜に埋まっても、バッテリーが上がって車が動かなくなっても、大人が複数いるので娘は海で遊んでいて様子も見に来なかった。私一人の時とは態度があきらかに違っている。
そのこと自体がいいか悪いかの問題ではなく、自分たちの家庭にはそういう傾向があるのだと親の私が気がついていることに意味があると思っている。
大人に責任を取ってもらって、無責任にお気楽にしていていい子ども時代は人生の中のほんの一瞬の大切な時間だったんだと、自分の人生を振りかえって思う。
私の小学4,5年生は両親の夫婦仲を心配して、母の相談相手になり、自分の無力さを痛感して苦しんだ思い出しかない。子どもとして当たり前の失敗をしてきても、自分たちのことで手一杯の両親は、余計なことをしてきたといってとても厄介がった。何か相談したいことがあっても「あんたより、私のほうがよっぽど大変なんだから」と母に言われた。大人の都合でもう子どもじゃないんだからと大人あつかいされて、親として果たしてもらえる役割をきちんとしてもらえなかった。
本当はもっと気楽に自分の好きなことを考え、子どもの万能感にひったっていなくてはいけなかった年頃だった。その時期に人生で最大の無力感と罪悪感を感じてしまっていた。この頃感じた自分はダメな人間だという感覚はその後の仕事依存やバタードウーマンとしてパートナーに支配されてしまう大きな原因になっている。
ちょっと行動範囲も広がっていろんなことができるようになる小学4,5年生時代。自分で判断する機会も増えれば当然失敗する機会も増えてくる。そんな時嫌な顔をしないで一緒に責任を取ってくれる親の存在が、子どもに自分は大切にされている、失敗しても自分は受け容れてもらえるという自信と安心感を育てていくのかなと子育ての中で気がついた。
私たち親子の暮らしは変えられないけれど、できる限り娘が子どもでいていい時間を保証してやりたいと思う。私にっとっては無力で屈辱的でやりきれない子どもの時代だったけれど、よい大人に見守られてすごす子ども時代は、人生でかけがえの無い大切な時間なのかなと思うようになったから、娘には豊かな子ども時代を堪能して暖かい子ども時代の思い出をたくさん持った大人になって欲しい。