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東京にある女性のためのDV相談や支援相談。ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)・被害を受けた女性と子どもの支援活動をしています。

DVとは

16. Noと言える関係

今年の夏は精神的に調子が上がらず。子どもが学校に行っている間はほとんど寝ていたので、夏休みはけっこう厳しいものになった。 子どももはじめは心配してくれて、いろいろ手伝ってくれたり世話を焼いてくれるのだが、あまり度が過ぎると「もういい加減にして、私だって疲れてるんだからね」と言われてしまう。 そのタイミングが絶妙なのだ、うん、そうだよね~と拒否された私だが思わず納得してしまう。

自分が小学生のころのことを振り返ると、小4のときに今で言う摂食障害になって、当時はわけのわからない厄介な病気になった。迷惑ばかり掛ける厄介な子どもだといわれていたので小6になって少し役に立つようになって、それを誉めてもらえるようになると必死でお手伝いをしはじめた。

今考えると自分の子どもがあんなにお手伝いをし始めたら私だったら何か変だ、何が子どもにあったかなと思うくらいの勢いで手伝っていたと思う。実際の自分の記憶でもこま鼠のように働いたように思う。働いていればヒステリックに怒鳴られることも、ののしられることも無かったからだ。 でもちょっと気を抜くと、すぐ怒鳴られるし機嫌が悪くなる。自分の持てる力全てを出して手伝うのが私のうちでの当たり前になってしまっていた。

中学生になってクラブやテストの時も、もちろん受験勉強のときも。 一度母にひどくののしられて頭にきて自分の部屋に閉じこもった直後に、ノックもしないで母がドカドカと入ってきて父親の愚痴をいい始めた時「私はまだ怒ってるんだからね。そんな話聞きたくないよ」と言ったことがあった。次の日から一週間私の食卓にだけ食事が出てこなかった、口もきいてもらえず透明人間にされてしまった。 ほかの家族も見てみぬふりで、誰も口をきいてくれなかった。 

それが私が「NO」と言ったときの我が家の定番の反応になった。長い時は1年もそんなことをされた。ただ母親の思うとおりにならなかったと言うだけで善悪は関係なく。「NO」と言ったらおしまい。私が嫌だって言うと誰も許してくれないんだから、学校でも会社でも「NO」がいえない、いつの間にか何かが嫌だと思うと怒りが噴出してきて怒鳴って、ののしることでしか嫌と言えなくなっていた。だから喧嘩別れするかニコニコマンでいるかしかできなくなってしまった。

当時私がもし事件を起こしたなら、おとなしい人だったのにねえってきっと言われたと思う。 私がこんな育ち方をしてなければ、きっと元のパートナーとは結婚しなかっただろう。結婚してから急に態度が変わったわけではなく、交際している時も要求の多い人だった。助け合うことと依存されることの区別がまるでついてなかったのだ。

母のことも異常だとは思ってもそれが依存的人格障害なんて言葉も知らなかった。どこかで言いなりになれない自分に罪悪感さえ持っていた。その罪悪感から自分の好きな人になら親にやる以上に尽くさなければと思っていた。

人間には本能が備わっている。娘は教えなくてもちょうどいいところで「もういや」と言う。私にも本能はあったんだけど…母の狂気に押しつぶされてしまった。家族の中で孤立させられて、自分の行動をののしられて、その中で自分の正義を貫くことは無実の罪で留置場にいるってこんな感じかなっとよく考えた。

治療を始めて10年以上過ぎてあの時家族に「NO」と言ったのは正しかったんだとわかっても、当時感じていた心の傷や重苦しさはすぐになくなるものでもなく、思春期に自分の本能で親の間違い全てを背負ってやり直すために自立しようとした子どもを、聞くに堪えない言葉でののしり苛めた当時の母を、たぶん私は一生赦すことはできないだろう。

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