4. 鉛筆
今年子供が小学1年生になった。保育園の年長になってから自分の持っていくものは、自分で用意できるようになっていたはずなのに、学校となると勝手が違うらしく、一人で時間割をそろえるのことができなくなってしまった。うちの子供は学童にも行っているので、1年生でも家に帰るのは5時から6時と遅いため、もたもたしていると寝る時間が10時をすぎてしまう。
おまけに入学当初は、道具箱や教科書に名前を書いたり、提出書類を一日に3~4枚持ってきたりと、親のほうもあわただしい。好きなアニメ番組を見たりしているとお風呂に入る時間は完全に無くなり、布団に入るのは11時なんてことになったら、翌日の朝は、ゆすっても起きない。
平和だった我が家に、4月から朝に晩に「はやくしなさい!」「宿題は!」「連絡帳!!」「時間割はそろえたの!!!」と私の声が響きわたることとなった。3回注意しても無視すると、ちょっと大きな声で促される、たいていは怒鳴られないうちに、なんとかなっていたはずなのに… 1年生になったら、まったく動かなくなってしまった。これは反抗期!!
4月も後半になると宿題も出るようになり、まさに修羅場と化していった。「連絡帳は?」と普通に聞いただけでふてくされる娘に、カチンと来るのをガマンして「宿題は、時間割そろえようね」と言っているうちは返事もしないし、やりもしない。なんかムカッとして、「おかあさんが、普通の声で言ってると言うことが聞けないの!」(ドッカ~ン)、するとビクビクしはじめる、もう初めから怒鳴るわけじゃないのになんてやな態度!
最初にまいってしまったのは私のほうだ、自分の怒鳴り声で遠い記憶がよみがえってくる。 私が小学生の頃、母は少しの間パートタイマーで働いていた時期があった。毎朝家の中に鋭い語調で私の名前が響き渡っていた。次から次へとできてないことを指摘してまわる母、そのあとについって行ってあわてて片付けていると、別のところで呼ばれる、すぐに行かないと怒鳴られるから、片付けの途中でもとりあえず行かなくてはならない。
全部中途半端で、またもとの場所に戻った母が「さっき言ったのに何でかたづけて無いんだ!」泣きながら初めの場所に戻って片付けようとしている私の耳に、つぎの場所にうつった母の「S美!!」と言う容赦ない怒鳴り声、無限の地獄ループだ。
解放される道は唯一つ、全てを抜かりなく完璧にできるようになるほかはない。その朝の儀式は、私が子供としては考えられないような、抜かりなさを身に着けるまで続いた。私は自分の名前が大嫌いになった、20代になって自分を嫌っていては摂食障害は治らないのかもしれないと思い、まず自分の名前を好きになるそんな簡単なことに何年もの年数を必要としたくらいに。
ある夜、いつもの最悪のパターンに入ったとき、私は娘に「お母さんを怒鳴らせてそんなに楽しい?」「お母さんがNちゃんを怒鳴って、ああすきりしたって思っていると思うの」と泣きながら訴えていた。
「Nチャンは大人は偉そうに命令ばっかりしてるって思ってるの」「お母さんが意地悪で怒鳴ってるって思ってるの、お母さんだって怒鳴りたくないよ、自分の子じゃなかったら怒らないでほっとくよ。どうして静かな声で言っているうちにやってくれないの?それとも一人でできることなんだから、1回声をかけたら終わりにしていいのかな?」すると娘も「いやだあ~言ってもらわないと困る」と泣き出した。
「保育園のときはできてたじゃない。どうしてしたくができないの」とうながすと「さびしいの、お風呂も一緒に入れないし、学校でも毎日あれしろこれしろっていわれ、我慢して帰ってくるのに、どうして抱っこしてくれないの?」とグチャグチャナ顔で訴えた。
なんて悲しい行き違いなんだろう。反抗期だと思い込んで言うことを聞かそうとしていた私、先にやることを片付けて、後でゆっくりしようと思っていた私。言うことを聞けない子供には、それなりの理由があったのだ。二人で抱き合ってボロボロ泣いた後、新しい約束ができた。 帰ってきたらまず抱っこ、自分で宿題をやって時間割をそろえたら、私が鉛筆を削ってあげると言う約束。
それで全てがすぐに解決したわけではない。実際12月になった今でも相変わらずスッタモンダしてはいるが、たとえ怒鳴りあいになったとしても、その場の空気がぜんぜん違うのだ。子供はビクビクしてないし、私のほうも余裕がある。怒鳴った後でお互いギャグに転化して笑っていられるようになった。「まったくもう」と承認している、されているそんな空気ができている。
子供のほうも見たいTVがある日は、学童で宿題をやってしまったりと頭を使っているようだ。鉛筆を削ることに関しては、甘やかしすぎかなとも思ったりしていたが、いつの間にか自分で削るようになっていた。
それでも学校で何かあった日などは鉛筆を持ってくる。子供いわく「学校でつらいときに、お母さんの削ってくれた鉛筆を見ると、ようし大丈夫と思うんだ」そうである。