6. 反抗期
夏休み一人で留守番をしていた娘が、エアコンをつけて扇風機をつけっぱなしにしていた。
冷房の効いた部屋で扇風機をつけっぱなしにしてうたた寝をしていると子供は命に関わることがある。扇風機を出すときにきちんと説明をして、わたしのいない時に扇風機は使わないことを約束してあったのに、あきらかに好奇心に負けて確信犯で扇風機を使ってしまった様子に、ちょっときつく説教したら「うるさい」と娘が叫んだ。
最近は世に言う反抗期の入り口を通過したところ、わたしが右といえば左を向く、親の言うことが正しければ正しいほど「はい」とは言いたくないようだ。小学生になると本当にやってはいけないとわかっていても、好奇心に負けてしまうパターンが増えてきて、ばれると必死に言い訳をする、ふてくされる、そっぽを向く返事をしない。今まで守っていた約束も守らなくなる。悪いこととわからないでやってしまっていた幼児期とは明らかにパターンが違うので、親のほうもかなりストレスがたまる。
悪いとわかっていない子になら教えてあげればいい、わかっていても止められない、注意されても聞きたくない、でも失敗するまで放っておいて平気な年齢ではない小学校低学年。ことごとく言うとおりにならない娘は、私に対して挑戦的で攻撃的に見える。その憎らしさといったら、時に後ろから蹴ってやろうかと思うほどだ(笑)。
学校でもこんな調子なのかと思ったら、ぜんぜ違うらしい親の私だけに異常に絡んでくる、そうして怒られるといじけモードに入る。「お母さんは地悪で怒るんじゃなくて、あなたが自分の子だから危ないことや悪いことは、きちんと教えなきゃいけないでしょう」「いくらふてくされて態度が悪くても、きちんと言うことは言うからね」と諭してきたが、さすがに「うるさい」には堪忍袋の緒が切れた。
本気で怒られて大泣きをしながら玄関に出て行った。しばらくドシンバタンあばれて泣き喚いていたが、やがてしおらしく戻ってきた。「何でこのごろそうなのかな、最初に謝ればこんなに怒られなかったでしょう」 娘いわくいけないと思っても、口が勝手に動いてしまって止められないそうだ。それでお母さんと喧嘩してどんな気持になるの?と聞いてみた。「寂しい気持」「今日はちゃんと謝ろうと思ってもできなくて馬鹿だと思う」そうである。「それでも屁理屈いちゃうんだ。しょうがないよね~」その言葉に反応してビエーと泣き出した。
「子どもはみんなそうなんだよ、でも大人はやってみなくても危ないことがわかる時もあるから、ダメだよって注意するんだから。お金と火と命に関係することは大人の言うことを聞かないと自分が怖い思いをするんだから、もう2年生なんだから意地張る時と場所を考えなよ」「あと、ああいう時にうるさいっていたら、大人でも友達でもみんな怒ると思うよ。
中には許してくれない人だっていると思うよ。頭にきても言っちゃいけない言葉はあるんだから」「立派な屁理屈が言えて大人をやり込めたからって、頭がいいわけじゃないんだよ」心底反省してごめんなさいと泣いている娘を膝に抱き、でもまた明日になるとけろっと忘れて口答えするんだよな~とため息が出た。
そんな娘に付き合って最近思うことは、反抗期というよりは自己主張期って言うほうが適切かなということ、大人に言われても本当なのか子供には体験がないから、自分で真実を知りたいだけなんだよね。はなから私の言ったことで行動を変えさせようということはあきらめることにした。
それは放任で何も言わないということではなく、わたしの倫理観に基づいて、一貫して注意することはする、そして学校や学童で他人に注意されたり喧嘩になったりしたときに、私の言ったことを思い出して行動を変えられればいいのかもしれないと思うようになったのだ。親が細かく注意して、子どもがうるさいと思うのは当然のこと。でもいつかお母さんの言っていたことの意味がわかったよって、身につけていってくれればそれでいいのかも知れない。そう思ったら少し気が楽になった。
親と子どもの属している社会がともに影響しあいながら子どもを育てていく、自分一人でどこに出しても恥ずかしくない子を育てようと思ったら、家庭の中は子どもにとってとてもうっとうしいところになったしまうだろう。それよりは自分の間違いに気がついたとき、素直に潔く過ちを認めた子どもをあたたかく受け容れられる家庭のほうが私には向いているかもしれないなと思う。
そして今日も娘とわたしの喧嘩と仲直りの日々は続いている。